邪悪さが怖い。
いや、この本を開いたときは、こういう感想になるとは思わなかったよ?
母親ふたりに娘ひとり、娘はふたつの家庭を行き来していた?! っていうとんでも設定から始まる話なわけですが、なんというか「親子間のコミュニケーションって大事だよね……。親子でもわかり合えないことってあるよね……」っていう、よくある家族の不和の物語だと思っていた。
まあ、大半はそういう話なんだけど。
ほぼほぼ終わりあたりから、どばっと栓が抜けたように溢れかえる邪悪さよ。
人を欺いて人を利用して、自分達の思うままにする事を「邪悪」って呼んでいいと思うんだよ。
で、その行動の結果、自分達のために利用した人間が死んでも後悔しない人間も「邪悪」って呼んでいいと思うんだわ……。
なんかもっといい言葉があるのかもしれないけど、私には思いつかない。
「気の毒」とも違うし、「可哀想」でもないし、「その選択肢はどうなのよ……」でもないし。
他人を利用してその他人が死んでも心が悼まない時点で、「邪悪」なんじゃないかなと。
最初のしんみりした印象からどんどん内面がさらけ出されていって、「わかり合うって大変だよね……」「わかり合ったと思っていてももう手遅れな事もあるんだよね……」としんみりなっていたかと思えば、最後の最後でえげつない爆弾が投下されて、なんとも言えない気持ちになる。
この話における邪悪さってなんだろ?
子供達に無理を強いていた親たちが悪いっていうのはまあ最初に抱く印象なんだけど(特に詩音ちゃんのお母さんは分かりやすい過保護すぎる親として描かれてるし、鈴ちゃんのお母さんもなんやかんやで放任主義で子供を顧みない母親だし)、でもその母親達がぶつかり合い自分を省みて悔いて少しでも前に進もうとしている最中に挟まれるのが、娘達の邪悪さなわけで。
この話……一概に誰かが絶対に悪いってわけじゃないんだよな。
絶対的に悪い誰かはいないけど、誰しもが少しずつ悪い。
私がまず詩音ちゃんのお母さんに反感を抱いたのは、このお母さんが典型的な過保護で子供の意思を束縛している親だという分かりやすいレッテルが貼られていたからだけど。
でも蓋を開ければ鈴ちゃんの母親も大概だし。
もっと言うならその母親二人に育てられた娘達が現在進行形でしている事や思っていることも邪悪すぎるから(人一人の命をどう思っているのか。そういう意味ではふたりの母親は少なくとも「娘」の死を悼んでいたわけで、この娘達の無邪気で閉鎖的で自分達以外の人間はどうでもいいと考えている無機質な気持ち悪さが際立ってくるんだよね……)、なんか私は似たもの親子って感じがする。
唯一、鈴ちゃんと詩音ちゃんに成り代わっていたくるみちゃんがこの話の良心のように思えるけど、この子だってずっと母親達を騙してたわけだしなあー。
でもやっぱり娘達ふたりが、人一人が死んでもさほど後悔してる様子もなく、逆に「あの子(くるみ)が死ぬってことは、それだけ自分達が育った家庭環境ってやばかったんだ」と言えてしまえるのが、怖いんだよなぁー。(そして突き詰めていけば、そんな身勝手な娘達を育てた母親達の精神性にも眼が行ってしまう)
全員が自分本位。
けど、そのうち母親達は変わろうとしていて、娘達は停滞したまま。
娘達の歪んだ価値観の気持ち悪さが、結局「この子達を育てた母親」として母親に帰っていく。
結局くるみちゃん以外は、勝手に救われて勝手に納得して勝手に自由に生きてるっていうこの現状に、なんか理不尽さを感じるんだよ。
そして鈴ちゃんと詩音ちゃんは鈴ちゃんの家に近所に住んでるわけで、このふたりの後ろめたさのなさにゾッとするんだよね……。
個人的にあの娘達がいつか酷い目に遭ってくれないかなぁー、なんて思ってしまうが、まあその時が来てもあの娘達は後悔しないんだろうな。(さすがにくるみちゃんへの後悔が見えるならいいけど、今の時点でほぼほぼ感じ取れないので、自分達が逃げるために生け贄にした女の子への後悔と罪悪感は持っていろよって思うんだよ)
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