twitterでおみかけしておりましたシリーズ。
twitterで読書アカウントを作ると、フォロワーさんの新鮮な読書感想を読めるので大変便利……、そしてそこから普段なら読まないような本に興味を持てるので、これまたありがたい。
というわけで、以前に「光のとこにいてね」で上質な百合小説(って言っていいのかなぁー。でも端的にあの小説を説明するとこういう説明になるんだよね)を読ませて頂いた一穂ミチさんの作品。
1ページ1ページが、めっちゃ重い……。
ページ数少ないじゃん? 楽勝では? と表紙をめくったときに思った自分を殴りたい。
ページをめくるたびに問いかけられる疑問。
好きであるとは?
許すとは?
許されるとは?
誰が誰を許すんだ? この「許す」って言葉の傲慢さは? 許さなかったらどうなの? そもそも「許す」権利なんてあるの? 許容度ってなんだよ……、的なことが次々と脳内に広がっていって、かといって最後に結論が出るわけでもなく、私の場合は「答えなんてないよなぁー」としみじみ思ってしまった。
答えがでない。
たぶん、その時になってみないと分からない。
ここで「許す」というのも「許さない」というのもしっくり来ない。
話の発端は新夏ちゃんの元婚約者である啓久が、プロポーズをした翌日に盗撮して逮捕されたからなので、啓久が悪いのは当然なんだけど。
それに対して新夏ちゃんが思い悩むのも分かる。
そして啓久のお姉さんが“娘がいて以前に性的いたずらをされた身”と立場から、弟を絶対に許せなくて糾弾するのも、まあ、分かる。
でも、この啓久のお姉さんの行動が、正直「あれ、許すってなんだっけ……?」ってなる。
なんかこのお姉さんの「性加害をした人間は絶対に許されてはいけない。性加害した人間に寄り添うのも敵。こういう奴はSNSでどれだけ叩いてもいい」っていう挙動がなぁ、盗撮した啓久を批判するまでは分かるんだけど、「ちょ、お前、やりすぎだろ」って思う。
そもそもこのお姉さんに「許す」権利なんてあるのか。
SNSで辛辣な発言をしているシーンを見た時に、「あ。この人、一線を越えてるわ」って凄く冷めた気持ちになった。「自分が過去に傷ついたから、自分の過去の傷をつけた相手じゃないけど、過去の傷をえぐるような行為をする奴はみんな殴っていい」っていう傲慢さが見ていて気持ち悪いし、このお姉さんの行動がこの話における「そもそも第三者が「許す」って言葉を使うのは傲慢では?」って気持ちに繋がってくる。
他の人もそう。
自分の中の許容度や感情に従って、「許す」「許さない」を決めていて、「いや、それって貴方の感情であって、新夏ちゃんに押しつけることなの……?」ってなる。
なので、読んでいて1ページ1ページがすごく重たい。
さくさくと読めると思っていた私が愚かでしたね……。
ちなみにこの本は二部構成なので、第一部は新夏ちゃん、第二部は啓久の視点での物語になってるんですが。
第二部に関しては性犯罪を犯した男性の諸々の話なので、なんというか、「じゃあ性犯罪するなよ」っていうのが念頭に出てくるので、なんとも言えない。
正直第一部で啓久が言っていた「盗撮はコスパが悪い」って言葉が的を射ていて、なおかつたまらずに気持ち悪い。社会的に孤立して陰口たたかれて家族とも疎遠になって恋人とも別れて……、確かにひとつの犯罪でここまでのリスクがあるのはコスパが悪いってことなんだろうけど、このコスパの中に“被害に遭った女の子への謝罪”が一切含まれていないのが、結局どこまでも自分の事しか考えていないクズ野郎で、クズ野郎だから性犯罪なんてできるんだろうし、クズ野郎がいるから「コスパが悪い性犯罪」を作っておくしかないんだろうなぁー……と。
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