どうも。
最近twitterでよく見かけていた本です。
よく見かけていたのと、なんとなく流行りの本という印象があったので、「まだ読むの先だろうな」と思っていたら、運良く手に入ったわけでして。
なんとなく表紙の雰囲気を見て、思ってた。
これは同性愛者の話ではないかな……? と。
結果は当たらずとも遠からずってところなんでしょうか。
おもしろかったー!!!#読了#読書好きと繋がりたい pic.twitter.com/VHuMCMtgC5
— ハルノ@10/21 (@huhahaha_zikaki) October 11, 2024
というか、語り手、お前誰よ?
最初、「え。神様かな?」と思ったら、そんなものではなく。
「なんか超次元的存在?」となったら、そうでもなく。
最後に「生殖器に宿る生殖本能」と結論が出て、「はい?!」となるまでがお約束。
語り手、人間じゃねぇな……? とは思ってたけど、想像外の存在だった。
で、想像外の存在による想像の範疇を超えた人間観察(なので視点は人間とはまったく異なります)が繰り広げられていくのが面白い。
突然昆虫の話が出てきたり、人間一人を「個体」と数えたり、もう発言から滲み出てくる“ヒトじゃない感”が面白いし、愉快だし、鬱陶しい。まさしくヒトの味方でもなければ敵でもない(そもそもそんな土台で語り手を把握しようとしてる時点で違和感)、どうでもいい視点で語られる人間観察なんですよねぇ。
この人間観察度合いが好き。
ほぼほぼ無関心で、自分の仕事(生殖本能)には忠実で、でも自分の宿主?である尚成にも多少の愛着はあるだろうけど、万が一死んでしまっても「あー、死んじゃったねぇ」ぐらいの気軽さで終わりそうな薄情さが好き。
そう、薄情、なんだよね。
まあ語り手は生殖本能なので、モノローグは誰にも聞こえない独り言なわけで。
何を言ってようが批判する存在はいないし、同調する相手もいない、フリーダムにあれこれと呟いてる存在。
なのでこの語り手は博識だけど非常識で性格が悪いから(というかこれも人間基準だけど)、たまに話がこんがらかって、「……お前、何が言いたいんだよ?」ってなるけど、言ってることがたまにとんでもなく心臓に来る。
いや、でもあんた人間じゃないから人間をやってる苦労なんてわからんでしょ?!ってなるんだけど、そういうツッコミができるのも相手が生殖本能だからですしねぇー。(人間が言う持続的社会を実現するために一番手っ取り早い方法は人間が絶滅することだって真理をさらっと言ってくるやつなので)
理屈なんてどうでもいい、心の底にあるものが見たいんだと思ったときに。
なんの躊躇もなく、「はいよ」って投げてきてこっちを困惑させてくるタイプだろ……。語り手。(人間相手だったら建前とか前置きとか必要になってくるけど、そういう人間らしい振る舞いは全部いらんだろぉっていうのが語り手なので)
で、そんな語り手や尚成と一緒に読み進めていくと、私自身も「これってどうだったんだろう」ってふと思う時がある。
「あのとき、好きだからこそ、演劇には意味がないって言われるのがつらかったんだけど、でも演劇には意味があるって色んな人が主張する姿を見るのも、なんかつらかったの。私もそう思ってるのに」(P118)
あー、あったなぁー、コロナの時だ。
演劇は不要不急だからって中止になっていく最中に、演劇の偉い人が「演劇は特別」みたいなことをいったんですよねぇ……。
私この時に見た舞台がちょうど“演劇を消そうとする政府にあらがおう”みたいなテーマだったから、凄く違和感があったんだよな。「演劇は特別」っていう人らに対しても、「なんでそんな事を言うんだろう?」って思ってた。なんで、「好きだから工夫して続けたい」じゃ駄目なんだろうって感じてたんだよな。
この本に時々出てくる「価値があるから存在していい」って言葉は、私もどこかで感じていて。
私は自分を「価値のない人間」だと思っているので、世の中にはびこってる「貴方には価値があるから存在を認めてあげますよ」っていう空気感(作中でいうところの“なんとなぁーく感”)にしんどくなることがある。
「偏見ないよとか言ってくる相手に俺はめっちゃ偏見持ってたりしますし、気にしないよとか言われてもお前が気にするのかどうかは俺の人生に関係ないから自意識過剰だなって思いますし。誰を好きになってもいいとかお前に許可出される筋合いないし時代関係なく俺はゲイだし」(P220)
颯の台詞見て、「ほんまにねぇ」って思うんですよ。
誰かに許可を得ないと存在しちゃいけないのかって思う。颯強い。
でも、そこまで強く思えない人もいるんだよな……。
そしてこの本を読んでてふと、文豪ストレイドッグスの「人は誰かに生きていいよと言われなくちゃ、生きていけないんだ。 そんな簡単なことがどうして分からないんだ!」 って台詞を思い出した。
颯の言葉とは正反対に聞こえるけど、でも、許可とか上から目線とか哀れみではなく、「君の存在がうれしい」って周囲からずっと言ってもらって生きてきたのが颯なんだろうな。(逆に尚成は「お前は生きるのにふさわしくありません」と言われ続けてきたんだろうな)
この本の好きなところは、“世間ではこう言ってるけどでも本当にそれだけかな?”を優しく受け止めてくれるところです。(でもこの「優しく受け止めてくれる」のも、言い方を変えれば突き放してるようにも見えて、結局のところ「貴方の好きにしていいのよ(結果は全部貴方に返ってくるけど)」になってるのも好き)
きっと語り手は今後尚成がどういう未来を辿っても、あんまり気にせず時々慌てながら存在し続けていくんだろうなぁ。
そんな未来を想像すると、かなり面白い。(面白いけど、博識だけど言ってることが薄情だったりするので、言葉を交わせない存在も知らない隣人っていう立場が一番しっくり来てそう)
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