twitterの読了報告を見て気になったので、手に取ってみた一冊。
最高にホラー小説でした!
謎解きあり、ホラーあり、ハッピーエンドに見せかけて最後に叩き落とすラストあり……、最高じゃないですかね。
今回の話については、怒濤の不穏ラッシュというか、話が進んでいけばいくほど絶望が深まってハッピーエンドが遠ざかっていく感じだったので、やっぱり最高にホラー小説なんですよね。
ホラーものの醍醐味の一つって、「色々よく分からない事が起こるけど、現象は分かっていても原因までは分からないこと」なんだと思うんですよ。
今回、それがすごい。
主人公の佑季が可愛がっている親友の忘れ形見の昂太君が見る「夢の話」。
佑季の親友が亡くなった事故の原因。
そして昂太君の父親が再婚する女性の実家の因習。
目のない女の子の幽霊……、などなど。
最初からクライマックスとばかりに立て続けにどんどん不穏なことが語られ、そして起こり、しかも原因がまったく分からない。(最初は親友の事故の原因とかは「自殺では?」とかになっていて、一見すると今回のホラーとは関係ないようにさえ見える)
でも怒濤の不穏ラッシュの序盤が終わり、中盤になると、これまでバラバラになっていた個々の出来事が結びつき始めて、「もしかして……、これってこういうことでは?」となっていく。
無関係だと思っていたものが繋がって、関係あると思っていたものが無関係だったと分かっていく。でも段々形ができてきて、謎は解けていくんだけど、ずっと不安が付きまとったまま。
だって、これ、ホラー小説だもんなぁー……。
これがミステリーだったら真相が分かれば、多少は救いになるかもしれない。
でもホラーだと、真相がわかったところで「で? だから??」となる場合もある。
この「で? だから??」が好きなんだなと、思った。
どれだけ必死になって真相をもぎ取ったところで、それが絶対に「救い」になるとは限らない。
むしろ嘲笑って、「で? だから??」と囁いてくるのがホラー。素敵だ。
今回の本はかぎりなく、「で? だから??」って部分が多くて、登場人物達が必死に解決方法を探して動き回っている中で読者の私は、「……いやでも、ちょっと待てよ。この謎が解けたところで根本的な解決にはなってないよな? これ、対処療法ではあるけど、根本治療にはなってないよな……?」となっていって、登場人物達の道行きの不穏さに怯えてました。
ホラーにおける真相って、“真相”であっても“解決法”ではないんだよなぁー……。
この違いがはっきりしてて、救われなさもちょうどいい。(そしてその救われなさを隠すようにほどよくしんみりとしたラスト(っぽいもの)を挟んでおく演出も、持ち上げてから叩き落とすの典型で素敵)
今回でいうなら昂太君の父親の再婚相手の実家にあったらしい≪鬼の鏡≫が大元のホラーだけど、この元凶である≪鬼の鏡≫をどうにかする方法は作中でも出てこない。
むしろ事前に「どうしようもない」って結論さえ出てる。
なのでとりあえず禍いから逃れるために、どこかに捨て置かれているらしい≪鬼の鏡≫を見つけ出して祀るしかないって展開になるけど、じゃあ祀ったらそれですべてが解決するのか?っていうと、そんなこと誰も言ってない。
ただ方法として、「祀らなくなって災いが起こるようになったなら、もう祀るしかないじゃん?」で祀る方向で話が進んでいくけど、よくよく考えれば“祀った結果なにが起こるのか(また≪鬼眼≫の子が産まれる? 呪いから逃れるためにずっと祀り続ける?)”までは分からなくて、どうしようもない対処療法なんですよね……、これ。
下手したらもっと事態が悪化する可能性だってあるのに、誰も気づいていない。
気づいていたとしても、“それで自分の大事な人が助かるなら……”で手を出してしまう。
この救われなさが、いいですよね。
読み終わって考えてみれば、いっそ昂太君を見殺しにして≪鬼の鏡≫をそのままにしておいたほうが、呪いの拡散は防げたかもしれないんだよな。
というかラストのあのシーンを考えるに、祀る前なら千歌ちゃんみたいに死んで、祀った後は完全に≪鬼の鏡≫の呪いに飲まれてしまうってことなのかな。そうなると、祀る祀らない関係なくもう呪いからは逃げられないってことなのでは……?
んー、その場その場の対処療法で呪いと付き合って、自分や自分の大事なものに害が及ばないようにするしかないっていうのが、やっぱ最高にホラー。
その結果、おそらく色々とやばい結果を生み出してるのも、最高にホラー。
次があるなら≪鬼の鏡≫をどうにかする話になるんだろうけど、もう祀って復活させてしまってるから、このまま付き合っていくしかないんだろうなぁー。(結局阿南君は何者なん? という疑問は残るんですが、最後に彼が実はラスボスでしたという展開にならなくてほっとしてます)
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