というわけで、きみはサイコロを振らない(新名智)の感想です。
面白かったけど、「で? 結局どういうことなん?」が最後まで消えないもどかしさが残る話。
この話をつまらないという人の気持ちも分かるし。
面白かったと思う人の気持ちも分かる。
二面性があるってことなのかな。
呪いのゲームに呪われたらしい主人公の晴が、恋人の莉久や莉久の友達の葉月さんの手を借りながら謎を解いていく話……、なんだけど、どっちかっていうと晴のトラウマや人間関係の難しさが描かれてる作品だと思う。
なので、ラストを含めて「呪い」やホラーの視点で話を読んでいくと、不満が溜まっていくんだよな……。(結局「呪い」に関して完全に解決したわけじゃないし)
でもよく考えてみれば、この作者さんの作品の「虚魚」や「あさとほ」も呪いが完全解決したとは言い切れないので(虚魚は海に出て行ったし、あさとほは揺蕩う存在になったけど完全に消滅したわけではない)、呪いが残る話は作者さんの十八番なのかも……?
話そのものはこの作者さんらしい綺麗な描写だし。
小学校時代にいじめられて不登校になった晴がどうにかまたいじめられないようにする描写は、生々しいけど悲しいし。
冒頭で出てくる雪広と晴の会話も最初は不穏さがあるんだけど、いじめの話までいくと、雪広は晴しか友達がいなくて本当に失いたくなくて必死だったんだろうなと伝わってくる。
しんどいけど切なくて、悲しい。
その描写が上手で、私はこの作者さんの文章が好きなんですよね……。
でも一方でもやっとするのは、ラストまで読んでもなんか「呪いの理由」が分からないから。
いや、マジで分からない。
どこかで見落とした? でも読書しながら書いてるメモにもそれっぽいこと書いてないし、あれ?? ってなりながら最後まで読んだけど、やっぱり分からない。
たぶん神社の修繕の時に見つかった碁盤が見たものを呪う代物で、雪広と神主さんを呪ったってことなんだろうけど、そこがいまいちピンと来ない。
……いや、見て呪われるなら、もっと人が呪われてそうだし……??
偶然が付きまとうこと(賭け事)をすると呪いが拡散されて死ぬ(ゲームをすると呪いが見えるのはその副産物)というプロセスは分かったんだけど、これ、雪広と神主さんが「見つけた碁盤で遊んだんだ」ぐらいのことがないと、見ただけで呪われるならどんだけの人が呪われてんだ……?
話の中で「呪いのゲームはいっぱいある」とある理由が、「実はこの呪いは拡散されまくっている」という意味なのかな……? でもそんなに呪いが拡散されて、人がばかすか死んでるなら話題になるよね……?
終始、こんな感じ。
この「呪い」方面の訳のわからなさが、引っかかるといえば引っかかる。
雪広と晴の物語として読むと切ない。
でも「呪いのゲームから生き残れ!」という方面でみると、呪いのはじまりが説明されてないのはいいのかよ?! ってなる。
なんというか、人がこの物語に何を求めるかで見方が変わってくるよな……、という印象。
でも、話の途中で雪広が「晴がうらやましい」とか言い出したときは、「これって成り代わりものか?」「そういえば冒頭で晴はぼくのものだとかいってたし?!」とか思ったんですが、まったくそんな不穏なことはありませんでした……。
というわけで、ごちそうさまでした。
では、また。
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