どうも。
最近読んでたミステリーは「イヤミス」(読んだ後に嫌な気分になるミステリー)というらしい。
というわけで、今回の鸚鵡楼の惨劇も「イヤミス」らしいんだけど。
嫌な気分になるというよりも、思った事はひとつ。
子どもを信じない親はクソなんよ……。
僕はきっと犯罪者になるだろう。(P37)
この言葉が印象的で、「なるほど。このこうちゃんって子が人殺しをするわけだ。なるほどなるほど……?」と思って見てたら、最後にミスリードされていたことに気づく大掛かりなミステリー。
でもこのミステリーって「このこうちゃんは犯罪者になる」という文から「あぁ、こいつは作中で犯罪を犯すんだな」って思い込みができてるんですよ。
で、思い込みのまま「河上航一=こうちゃん」と連想して、ずーっとそういう目線で見せる。
あ、こいつが犯人か。
あ、こいつが何かするのか。
あ、でもミステリーだから何かトリックがあるかも?
でも多分、昔の事件はこいつが犯人だよな??
で、最後の最後まで読んで気づくわけ。
あれ? 私のやってたことって、沙保里さんと同じでは?
気づいた瞬間にゾクッとする。
沙保里さんが作中で印象悪いのも合わさって、「あの人と同じ思考かよ……、私……」ってなる。
息子を犯罪者になると決めつけて接してきた母親と同じなんですよねぇ。
私の場合は読んだからまだ許されるだろうけど。
これがもし現実で、家族からずっと「お前はいつか犯罪者になる」「お前なんていらない」って態度を取られ続けたら、そりゃあ人生歪むよ……。
しかも沙保里さんはそれに違和感を抱えていないし。(息子が犯罪者になるかもしれない恐怖はあっても、犯罪者になるわけがないという信頼は持っていない)
(沙保里さんといい旦那といいストレスの多い生き方してるなぁとは思う)
沙保里さんが時々見ていたイメージは、結局脅迫概念的なもなにかだったのかな。
それでも息子を犯罪者予備軍だと思い込むのって異質だと思うけど。
沙保里さんについては性格の悪い女の人のイメージが強くて、沙保里さんに共感するよりも反感のほうが強かった。(だから思い込みで“こうちゃん”を犯人だと決めつけていた私への嫌悪感も出てくる作品なんだけど)
息子の駿君や旦那さんのことを考えると、沙保里さんの側って相当ストレスかかってただろうなぁ。
エッセイストで自分の周囲の出来事を書くのが仕事だっていっても、周囲の人間を見下すような文章を書けば反感は買うし、周囲の人間からすれば「あ。こいつに弱みや失敗を見せたらネタにされる」って警戒するんですよ。それが家族だったらもう四六時中警戒しなくちゃいけないわけで、最悪でしかない。
沙保里さんの旦那さんの動物殺しは擁護できないけど、妹から“見栄っ張り”と思われてる兄貴が、ずっと沙保里さんと一緒に生活するのは想像するだけで大変だし。
そもそも結婚する相手を間違えたというなら、そうだと思う。
で、なんで沙保里さんが息子を犯罪者になると決めつけていたのか、結局全然分からない。
本のモノローグを読んで「なるほど、こうちゃんが犯罪者になるんだ?」と思った私以上に「息子は犯罪者になる」って思い込んでいたってことか?
スピリチュアル風にいうと予言があったってことなんだろうけど、本の世界におけるスピリチュアルはえせっぽいので(依子ちゃんの言い分だと)、沙保里さんも霊能力があるとかよりは思い込みの激しい女性って立ち位置だと思うし、そうなると「思い込みで息子を犯罪者になると決めつけたやべぇ母親」になるんだけど……、なにがどうなってそうなったんだ? 沙保里さん??
もしかすると沙保里さんの心境はこの話にはあんまり関係ないのかもしれないけど。
子どもを信じない親が私の中では引っかかり要素なので、すごく気になります。(ただ駿君と相性が悪かったってことなのか……?)
で、最後に思うのは本物の“こうちゃん”のほうなんですが。
なんだろうか、このぽっと出感……?
序盤で語り手になって、「僕はきっと犯罪者になるだろう」と言って読者を思い込ませて、その後本人は登場せずに他の人の口から時々存在がほのめかされるだけで、最後に出てきたと思ったら初恋の人に殺される、この存在感の薄さよ。
鸚鵡楼の惨劇がひとりの少女(時を重ねて女性)で幕を開けて幕を閉じるなら、最後のこうちゃんの死は巡り巡っての因果なんだけど、あんまりに出番が少ないから「え。あ、そっか、あの人がこうちゃんか。そうか。え? 死んだ?」って感じで拍子抜けするんだが。
これは……、沙保里さん(と人生を狂わされた駿君)の話……、だよね……?
これも私の思い込みなのかな。
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