物足りないというか……、なんか気持ちが乗れないというか。
鬼と人間(陰陽師)と、徐福の三つ巴戦争。
オカルトというか、祝詞やアジア圏独特の仏教テイストというか、こういう空気感が好きな私としては「おおー。これこれ、こういうの好きなんだよなぁー!」となる作品。
設定は文句なしに私好み。
じゃあどうして読んでいてワクワクしないんだろう? と考えると、多分、展開が早いから。
正直、詰め込みすぎなのでは……?
千年を生きた結果、意識が変わった(安易に鬼を増やすのではなく、人間を殺すのではなく、人間側に敵意を向けられないように注意を払って生きていく方向にシフトした)鬼側と、これまでの鬼の虐殺を子々孫々に語り継いで鬼を殺す事を使命とする人間側。
この時代に酒呑童子が復活したものの、鬼側のある意味フレンドリーな対応に人間側が反発しつつ困惑しつつ、次第にゆっくりと「鬼を倒す必要があるのか?」と疑問を抱いて最後には徐福を倒すために共闘する、という展開なのだけど、なにせページ数が少ない。
このページ数の少なさのせいか、人間側への感情移入が私には難しい。
鬼に血を吸われると鬼になるので、鬼になる前に血を吸われた人間を殺す人間側。
鬼が人間を虐殺するので、鬼に成り立ての人間を虐殺する人間側。
とにかく人間側(もっというなら人間側の主人公である行人)への精神的ダメージが大きい中で、鬼がフレンドリーな対応をしてくるんだけど、「え?ええ??そんなに簡単に心を開いちゃうの?え、えええ」となっていくし(小さい頃から受けていた教育ってそんなに簡単に覆るものなのかな)、もっというなら行人と瑞祥の話も物足りない。
行人が鬼を信用するきっかけになるのが、瑞祥。
瑞祥が行人とやんごとなき女性との間に生まれた不義の子なのは分かるんだけど、あまりにこのふたりの掘り下げが少ない。
行人が瑞祥のことを「親戚の子供として遠くから見守るしかなかった」って言ってるので、父親の名乗りはしてないらしいけど、瑞祥は行人を父親だと知っている。多分周囲からのカミングアウトがあったんだろうなって想像できるんだけど、ふたりのエピソードがほとんど描かれていないせいで、このふたりの関係性(どのぐらいの距離感だったのか。どんな感情を持っていたのかなど)がほぼほぼ分からない。
そんな中で終盤で瑞祥がいきなり、行人のことを「父さん」呼びしても、唐突すぎてびっくりはするけど、私の心には響かなかった。
い、いやあのシーン、数多くの鬼を殺して、禍を退けるためとはいえ自分の父親まで手にかけた行人が心を病んで自分を殺そうとする瞬間に、瑞祥が「父さん」って呼んで引き止めるシーンだから、感動的なシーンに違いないんだよ。
でもそのシーンまでの掘り下げがないと、「あれ。ふたりって親子だけど、瑞祥はずっと「父さん」って呼んでなかったってことでいいんだよな?」とか「ここでいきなり「父さん」って呼んだ理由は?」とか、色々考えてしまう。
瑞祥のモノローグで少しでも「実は行人の事をずっと「父さん」って呼びたかった」とかあったなら分かるけど、そういうのもないし、唐突感が強いんだよなぁー。
もう少しページ数があれば、人間側の掘り下げもあったのかな。
でも一冊にまとめなくちゃいけなくてこんな感じになったんだろうか。
最近は出版社も不況っていうから、巻数を増やすっていうのは難しいのかな……。
というわけで、「ヴァンパイア・シュテン/福田和代」の感想でした。
それでは、次の一冊でまた!
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