どうも。
最近の自分の中の流行りが「Twitterで気になる本を見つけて読む」なんですが、今回もその一冊です。
ミステリーだと思って読んでいたんですが。
読み進めていくと心がずどんっと重たくなっていくタイプの話。
どこからどう見ても八方塞がりで救われる要素がほぼない登場人物の末路を見守る時の読者の気持ちって、「……このまま読むのやめようかな」なのかな。
まあ私が読むのをやめたところで、登場人物の末路は変わらないんですが。
既定路線のごとく、嫌な予感がする方へ歩いて行く登場人物達よ。
読んでいて途中でしんどくなる。
特に今回の本に「格差」は、かなり生々しい。
一回気づいてしまうと、ページをめくるたびにどこかから漂ってくる「格差」に気持ち悪さと怖さを感じる。
しかも「格差」ってファンタジーじゃなくて、現実にもしっかりと存在してるんだよね……。
むしろ現実の「格差」が小説のなかに持ち込まれているわけで。
「つまり、高低差」
「高低差?」
「落差があるところに、エネルギーは生まれる……ってね」(P109)
この高低差で生まれるエネルギーって、どう考えても負のエネルギーじゃないですかー。
高低差って言葉は、すごくしっくりくる。
「格差」というと、=差別ってなるんだけど。
高低差は自然に生まれるものってイメージがあって、環境によって自然発生する感情みたいな印象。
元カノが今カノにマウントをとったり。
専業主婦と兼業主婦のいざこざだったり。
受験もそうだし。
この世の中には「格差」とまでは行かないけど、「高低差」によって生じる感情がいっぱいあるのだと思う。
ただ、個人的にこの本に出てくる「親子間」はすっごく嫌なんだよ。
問題を起こす我が子を容認するようでいて、逆に突き放してる両親とか。
弟が生まれた途端、姉を存在しないものであるかのように振る舞う両親とか。
優秀な姉につきっきりになるばかりに、弟に間接的に姉を殺させた母親とか。
物語の中で“こいつら本当に人の親なん?最低じゃね?”が散りばめられていて、しんどい。
家族という逃げ場のない空間で「高低差の下側」を押し付けられたら、そりゃあ、しんどいし苦しいし。
助けてほしいって手を伸ばすけど、高低差の上側にいる人達は無視してる。
その”気づこうとしない傲慢さ”にも腹が立つし、”わざと自分の方が立場が上だってアピールしてるんだろうな”って気づくのもむかつくんだよなぁ。
妄想で礼子さんが家族を惨殺するシーンは、「あぁ、やっちまったか」「そりゃぁそうなるよね」のふたつの感情の振り幅が大きくてやばかった。
ヤバイ人間だと思われるだろうけど、あそこまで家族にないがしろにされ続けてきたなら、あの時に殺してもよかったんでは? と思うぐらい、礼子さんが気の毒で仕方ない。
でもこの「気の毒」も、高低差の上側(親との諍いを経験してこなかった人間)の傲慢から来る同情なのかもしれない。
礼子さんはこの話の中でこれから人を殺す側の人間なので、彼女が置かれた状況が生々しいんだよ……。
家に居場所がなくて。
でも生活面のことを考えると家にいるしかなくて。
家にいると自然と顔を付き合わせる両親と弟との折り合いは最悪で。
礼子さん側にも非はあると思う(居心地が悪いなら家を出て行けばよかったとか)けど。
この弟、無理。殴りたい。
そしてこの弟を育てた親も無理。殴りたい。
この家族、無理。
礼子さんの家族惨殺妄想シーンの時に「そりゃぁそうなるよねぇ」となる大半の理由は、この弟と両親の糞さ加減なんだわ。
特に弟、お前は一回礼子さんに殴られてくれ。
大渕が自分の理解者だって思っちゃったら、そりゃあ礼子さん、手放せないよね……。(家族に否定されてそれでもどうにか踏みとどまったら次は大渕との愛を否定されて、もう礼子さん逃げ場がなかったんだろうな……)
家を出なかった礼子さんも駄目とは思うけど。
でもやっぱ、あの家族、嫌。
だから、最後はちょうどいいと思う。
結局礼子さんは家族を殺さず、他人を殺してしまったけど。
でもこれで礼子さんを「格差の底」においてた家族は、もれなく犯罪者の家族になったわけで。
犯罪者の家族って、想像するまでもなく「格差の底」だと思う。
しかも話の展開としてすごく注目されるだろうし。
弟君結婚破談になるよなぁー、って思うと、それが不条理というより今までの報いに思えるのは、礼子さんに感情移入しすぎかもしれない。
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